神社寺院由来

仏神宗仏神寺柳山神社ロゴマーク3連

【仏神宗仏神寺柳山神社 由来】

柳山神社の由来は、山岳信仰からの起源であり、山岳信仰とは、縄文時代に狩りの獲物をもたらし、家屋の材料や燃料を与えてくれるのは山であるから、縄文人が山に対する感謝と畏敬の念をもっていたことから始まり、山を神として崇拝し、一方で恐れるということは、農耕の伝播以降に始まったと考えられる。

創設者、松永行秘は、32歳の1997年(平成9年)からの夢の師匠に出会い、色々な事を学び、2002年(平成14年)5月10日に、羽島悟入寺の山﨑静雄住職から戒を授かり、曹洞宗において得度し、大日如来を本尊とする、仏心宗なるものを考え修行に励み、仏心宗仏心寺柳山神社および国際人権擁護協会を設立し、相談者の、救済に取り組んできた。
夢の師匠、守護霊、仏様を感じて、人権擁護活動をし、家では、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
産土の大神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
は勿論、形だけ祀っていたが、
大日如来(だいにちにょらい)
南無大師遍照金剛界(なむだいしへんじょうこんごうそん)
不動明王(ふどうみょうおう)
を中心に祀り、ほとんど神様を祈る事はなかった。


2018年(平成30年)頃より、言霊、神様という観念に襲われ、この大宇宙の、最高神で在られる、創造神で、造化三神の、
天之御中主大御神(あまのみなかぬしおおみかみ)
高皇産靈大御神(たかみむすびおおみかみ)
神皇産靈大御神(かむみむすびおおおみかみ)
太陽系主宰神の、
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
柳山大山祗大山神(やなぎやまおおやますみおおやまがみ)
様達を招神し祀り、毎朝の御米・御水を取り替え、お祈りし、祝詞も唱えるようになり、お祈りする中で強く神様の存在を感じるようになった。
この頃より、仏心ではなく、仏神だと強く感じ、仏神宗仏神寺柳山神社と石彫りして毎日の行に入る。


産土の大神は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)であり、柳山の霧島権現社(瓊瓊杵尊)を招神したのが、松永行秘の祖父である、松永浅右衛門と柳山の地主青崎どんである。
松永浅右衛門の年齢から推測すると、大正末期~昭和初期頃に、松永浅右衛門が、柳山で炭焼き小屋を始めるにあたり、地主であった青崎どんと松永浅右衛門が二人でリヤカーを引き、霧島神宮に詣で、石祠に瓊瓊杵尊を分神して頂き、往復八日間掛けて招神し、柳山にお祀りしたものである。

これが今、柳山山頂にある霧島神宮の石祠である。


自宅の敷地内にある小岩(高江町7080番地11)に、春に柳山から、降りて来られて、休息する、山神様がいる。
その山神様は、高江町瀬戸地6945番地の日枝神社の方に逗留される山神様であり、その山神様の正式名称は柳山大山祗大山神(やなぎやまおおやますみおおやまがみ)と申される神様である。
元々は、柳山神社の柳山大山祗大山神様は、高江町の南方神社は(旧称)諏訪上下大明神・諏訪大明神社・諏訪神社で祀られていた神様で(1596年(慶長の役)島津義久公が先勝祈願をしたと言われている以前より建立されていたが、創建年は不明・名称変更等の期日も不明。)ある。
古より山神信仰はどこにでもあり、薩摩川内市で一番高い山(389m)であるが故、由緒ある山神様である事には間違いがない神様である。
その高江町2255番地の南方神社から、1680年に、大山祗神(山神)様を、鮫島嘉太郎が、石塔に分神し、高江町瀬戸地6945番地の、日枝神社として建立した、古来よりこの地を守る山神様である。
しかし、高江町瀬戸地6945番地の、日枝神社は柳山に上る為の道があった、現在は使用されていない、旧道に建立されている為、松永行秘が、小岩のある新道の方に、移魂建立させたものである。


この様な御縁で、仏神宗 仏神寺 柳山神社の主祭神仏は、
大日如来(だいにちにょらい)
南無大師遍照金剛尊(なむだいしへんじょうこんごうそん)
不動明王(ふどうみょうおう)
この大宇宙の最高神、創造神で在られる、造化三神の、
天之御中主大御神(あまのみなかぬしおおみかみ)
高皇産靈大御神(たかみむすびおおみかみ)
神皇産靈大御神(かむみむすびおおおみかみ)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
柳山大山祗大山神(やなぎやまおおやますみおおやまがみ)
の、六神・一仏・一尊・一明王の総計9柱をお祀りし、松永行秘が、2003年(平成15年)から始めていた仏心宗仏心寺柳山神社を改め、2019年(令和元年)に仏神宗 仏神寺 柳山神社として改名したものである。

合掌


【柳山大山祗大山神様が、柳山から里に降りて来られて休憩をなさる小岩】

高江町小岩2

 

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